作品紹介

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2019年入選作品

放送局部門

海を洗う
~果てしなき機雷戦~

山口朝日放送

プロデューサー:諸岡亨
ディレクター:高橋賢

去年夏、中谷藤市さんは家族を前に弟・坂太郎さんの死の真相を語り始めました。「坂太郎は米国の要請によって朝鮮戦争で掃海作業中、機雷に触れ死亡した」。極秘で行われた日本の朝鮮掃海。その後自衛隊が発足。1991年の湾岸危機でも日本は米国の要請により掃海部隊を派遣。自衛隊初の海外派遣となりました。戦後、日本が安全保障上の重大な危機に瀕したとき、真っ先に声がかかったのが掃海部隊でした。そして今、日本の掃海はどこへ向かおうとしているのか。掃海の歴史を紐解き日本の安全保障を考えます。

その壁が守るもの
~宮城・240kmの防潮堤~

仙台放送

プロデューサー:菊地章博
ディレクター:大山琢也

東日本大震災後の宮城県の防潮堤整備は国が示した基準のもとで進められた。しかし、宮城県石巻市雄勝地区に住む高橋頼雄さんは、「高台に住宅地を作ったのに、これ以上何を守るのか」と防潮堤整備と高台の街づくりの矛盾に納得がいかない。気仙沼市魚町の臼井壮太朗さんは、「我々は海と生きてきた。防潮堤ではなく避難道で十分だった」と声を挙げる。一方、宮城県の村井知事は「今嫌われても50年後に評価されるように」と防潮堤整備への強い思いを語る。

毒の油を口にして
~カネミ油症事件50年~

RKB毎日放送

プロデューサー:大村由紀子
ディレクター:里山千恵美

カネミ油症事件は1968年に発生した、国内最大の食品公害事件。北九州市のカネミ倉庫が製造した食用油に混入した猛毒ダイオキシンが、西日本一帯で多くの人に重篤な健康被害をもたらした。加害企業カネミ倉庫は小さく、最小限の医療費支払いさえままならない。国はこの事件の初期対応を誤り、被害を深刻化させたが、今この問題への対応は極めて消極的だ。さらに厳しい認定基準が多くの被害者を最小限の救済からも切り捨てている。そして油症被害者の親から生まれた次世代の子ども達にも様々な健康被害が起きている。油症事件発生から半世紀。今なお苦しみの中にある被害者たちを置き去りにして、風化しつつあるこの事件の問題を探る。

メ~テレドキュメント
夢も、希望も

名古屋テレビ放送

プロデューサー:村瀬史憲
ディレクター:小島佑樹、前田怜実

名古屋市の市営住宅で暮らしていた一家が、忽然と姿を消した。そこには18歳の少女がいた。市内の商業高校に通い就職を目指した。夢は社会福祉士になること。しかし、就職できないことを知る。生まれは中国。両親の在留資格が切れ、彼女は「仮放免」となっていた。彼女は、公立大学に合格し、夢への一歩を踏み出した。しかし事態は一変。父との面会のため訪れた名古屋入管で拘束。中国に強制送還されたのだ。支援者らの薦めで彼女は裁判を起こした。名古屋地裁の判断は却下。しかし高裁がその決定を覆す。再び掴んだ夢への切符。ところがまたも彼女の前に「国が定めたルール」が重くのしかかる。18歳の夢が叶う日は来るのだろうか。

私は白鳥

チューリップテレビ

プロデューサー:中村成寿
ディレクター:梶谷昌吾

澤江さんが、飛来する白鳥を数え始めたのは約6年前。富山に飛来する10月から北帰行する3月まで、毎朝、日の出前に白鳥を数えるのが日課です。去年2月、澤江さんは羽をけがして、飛べなくなった白鳥を発見。つがいの一羽でした。つがいの白鳥は、北帰行の時期が訪れても帰ろうとしませんでした。しかし、去年3月末、飛べなくなった白鳥を残し、もう一羽が飛び去りました。富山に残された一羽の白鳥。澤江さんは、飛べなくなった白鳥を救おうと、毎朝のエサやり、夏を過ごすための寝床づくり、ボートを購入し、池中の草を刈り取るなど全身全霊で世話をしてきました。そして、とうとうシベリアからやってきた白鳥たちと再会します。



ケーブルテレビ部門

我がふるさとの中海
~「環境新聞」30年の歩み~

中海テレビ放送

プロデューサー:横木俊司
ディレクター:上田敏之

平成30年12月、鳥取県と島根県にまたがる中海(なかうみ)。日本で5番目に広い湖です。
中海にほど近い米子市彦名町に住む向井哲朗さん77歳。汚れる中海を目の当たりにして、泳げる中海を目標に中海の水質改善、環境保護に独自で取り組んでいます。次の時代を担う地元の子どもたちに呼びかけて、チビッ子環境パトロール隊を結成したり、地域の人たちに呼びかけて環境学習会を開催するなどさまざまな環境改善活動に取り組んでいます。さらに、平成元年から手作りの環境新聞「中海」を毎月発行し、30年目の去年11月で376号を数えました。

別れの乳房
~97歳 赤十字従軍看護婦の証言~

秋田ケーブルテレビ

プロデューサー:高橋伸明
ディレクター:樋渡大基

赤十字はもともとは戦時救護のために作られたものでした。
日本赤十字社の設立も西南戦争がきっかけでした。
第二次世界大戦では兵隊同様に救護看護婦のもとにも赤紙による召集がありました。
そして、たとえ子どもがいても、看護婦達は否が応でも戦地へと向かう時代だったのです。
戦地ではどの様な状況だったのか、元日赤従軍看護婦である 91歳の船水さんと97歳の田口さんにお聞きしたインタビューを中心に日赤の成り立ちや戦時救護に青春をかけた日赤看護婦に迫り、平和の尊さを考える作品です。

天災は忘れた頃に…
入鹿切れ 死者941人

中部ケーブルネットワーク

プロデューサー:仙田章
ディレクター:渋川和憲

明治元年に941人の命を奪った災害「入鹿切れ」。時代の転換期と重なったため、詳しい資料も残されず人々に知られることなく風化していました。
そんな中、災害を親から子へと、今も伝え続ける家や地層から災害を検証するNPO団体、不明とされていた被災地の謎に迫る学芸員など、災害を未来に伝えようとする人々がいます。彼らの取材から見えてきたのは、今でも起こりえる災害の危険性です。
150年前の災害が、今 伝えることは…。現在の私たちにも通じる危険性について警鐘を鳴らします。

ふとうこうのじかん

大垣ケーブルテレビ

プロデューサー/ディレクター:大塚英司

みなさんが子どものころ、学校に来られなくなった子が、一人、二人、いませんでしたか?番組の舞台は、岐阜県揖斐川町にある私立西濃学園。中学生・高校生およそ50人が学んでいます。学園の許可を得て、昨年9月からの約3か月間、カメラが入りました。自分を変えたい、立ち直るきっかけをつかみたいと、西濃学園を選んだ子どもたちが、普通に勉強したり、普通にスポーツしたり、普通に青春しています。不登校・ひきこもりの経験者が、大人になってから社会の理解を声高に訴える番組ではありません。自分が変わる日が来るまで、子どものまま、じっとエネルギーをたくわえている「ふとうこうのじかん」を見つめました。

峻厳の答酬
~山武郡市広域行政組合消防本部
 新人研修~

広域高速ネット二九六

プロデューサー:藤本健太郎
ディレクター:佐藤祐貴

東日本大震災以降、各地で災害対策が進められ、地域の消防局にはこれまで以上に大きな役割が期待されている。しかし全国の消防本部ではベテラン世代の一斉退職期を迎え、消防力の低下は避けられない。そんな中、現状を打開すべく動きをみせている消防本部がある。東日本大震災で津波被害のあった地域を管轄とする、千葉県の山武郡市広域行政組合消防本部だ。成田国際空港にも近接するこの消防本部では、災害対応に加え、2020年東京五輪におけるテロ対策の役割を担うべく2015年に高度救助隊を発隊。同時に、若手を育成し消防力の底上げを図るべく、県内で最も過酷な新人強化訓練を開始した。

ざざ虫漁としげまさん

エコーシティー・駒ヶ岳

プロデューサー/ディレクター:大沼和也

長野県南部、伊那谷の郷土食として親しまれる昆虫食「ざざ虫」。歯ごたえと独特の風味が特徴の佃煮など、珍味として根付いている。その伊那谷の冬の風物詩、天竜川のざざ虫漁を趣味で50年以上楽しむのが、菅沼重眞さん。地元の小学生に漁の方法を教えたり、手作りの佃煮をまわりに振舞ったりするしげまさん。しげまさんの川に対する思い、子ども達に伝えたいこととは…。

地域力の創造!栄町「支温の家」より

伊万里ケーブルテレビジョン

プロデューサー/ディレクター:大鋸あゆり

人生100年の時代に向かう中、どうすれば地域とのつながりを保つことができるのか。高齢者が社会のためにできることは何か。行政に頼ることなく自ら問題に立ち向かってきた大坪町栄町の10年間の取り組みを紹介する。



市民・学生・自治体部門

伝えたい ~農業家 河上めぐみ~

平島健一

プロデューサー/ディレクター:平島健一

富山市の中山間地で農業を営む有限会社「土遊野」の代表をつとめる河上めぐみさん。土遊野ではコメや野菜のほか、鶏を飼育し卵や鶏肉を出荷している。食べる、ということは、何かの命を奪っていること、そんな当たり前のことが現代社会では気づかれにくくなっていると河上さんは言う。農業の現場は生と死が近い。日々、命について考える河上さんは去年、長女を出産した。守るべき命とともに、彼女が里山から伝えたいこととは。

こもりうたを校庭で
~ウチナータウンに生きる~

上智大学水島宏明ゼミ 岩崎瑠美

プロデューサー/ディレクター:岩崎瑠美

新島きみ子さん。私が幼い頃から、同居していた私の祖父の在宅ヘルパーとして住み込みで働いていた。私のおばあちゃんみたいな存在。そんな彼女は辛い過去を持っていた。兵庫県宝塚市高松町。この作品の舞台であり、きみさんの生まれ育った町でもある。戦前に出稼ぎでやってきた沖縄の人々が今も生活を営む。沖縄の文化が根付く場所だ。小学校1年生の時に、彼女は母親を亡くした。母親に託された乳飲み子の弟。小学校には通うが、弟が授業中もむずがる。教室を後にし、校庭であやす日々が始まった。高松町の人々は、そんなきみさんを助ける。内地の、不思議なウチナータウン。きみさんの背中越しに地域の歴史を見つめた。

ハンセン病を生きて

中央大学総合政策学部 畠山 桃子

プロデューサー:佐藤仁紀、松本弥彩暉
ディレクター:畠山桃子

東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所「多磨全生園」。ここに60年以上暮らす女性がいる。山内きみ江さん(85)。彼女は、7歳の頃にハンセン病を発症。戦時下で適切な治療を受けられなかった彼女の指はなくなり神経は麻痺した。ハンセン病は自然治癒したものの、世間の目は冷たく、自ら故郷を遠く離れ、都内の療養所に移り住んだ。そこで、彼女は、恋に落ちて結婚。しかし、政府の断種政策により、子どもを授かることはできなかった。夫の死後、きみ江さんは再び孤独に。しかし、2012年に、ある保育園が多磨全生園の敷地内に移転して来た。園児と交流していく中で、指のなくなった手で、子どもたちと握手することができるようになっていく。

九死一生
-元台湾人日本兵の記憶-

中央大学法学部 安 徳祐

プロデューサー:佐藤仁紀、松本弥彩暉
ディレクター:安 徳祐

東京都奥多摩湖が見渡せる場所に立つ台湾出身戦没者慰霊碑。風景が台湾の日月譚に似ているという理由で同所に建立。元台湾人日本兵の呉正男さん(91)は、「私もここに入る予定だった」と話す。日本統治時代の台湾に生まれ、13歳で日本へ渡った。軍国主義教育を受け、日本軍への入隊を志した。陸軍の航空通信士となり、最後は朝鮮半島で終戦を迎えた。しかしその後、カザフスタンで2年間の抑留生活を生き延びた。戦争、特攻隊、シベリア抑留という「不運」続きの人生。しかし、彼は自身の人生を「幸運な青春」と振り返る。呉さんの「幸運」という言葉には、どのような思いが込められているのだろうか。呉さんの半生を追った。

排除ベンチ
~居心地の悪さをたどって~

東京大学情報学環教育部 排除ベンチ班

プロデューサー:田村進也
ディレクター:田村進也、押野晃宏、小山子野香、畑谷綾子

1996年1月24日、新宿西口地下道で暮らしていた路上生活者が東京都職員によって強制排除された。今やこのような露骨な排除は見られないが、その残骸ともいえるのが今回のテーマ、排除ベンチである。この作品では排除ベンチに焦点を当て、新宿、上野、池袋を舞台に、排除の歴史、巧妙化した現在の排除の姿、そして排除がもたらす再開発という未来について、行政やホームレス支援団体、排除アートに関心のあるアーティストやドキュメンタリー映画監督の方などの意見を取り入れながら考えた。排除ベンチが生み出す居心地の悪さを辿る。

海の日曜日

元町プロダクション 中北富代

プロデューサー:池谷薫
ディレクター:中北富代

私は、阪神・淡路大震災で当時14歳の長女・百合を亡くした。建築家の夫・幸は震災を機に大手建築事務所を辞めて独立。自然との共生を図る自宅の再建が私たち夫婦の復興の第一歩となった。ある日、映画『先祖になる』に感動した私は夫の幸を主人公の佐藤直志さんに会わせたいと思い立つ。東日本大震災の津波で息子を亡くしながらも、みずから森で木を伐り自宅を再建した直志さんの姿が夫の幸に重なり合ったからだ。こうして映画づくりが始まり陸前高田に向かった私だが、直志さんがふと発した「津波のおかげ」という言葉にひと夏苦しむことになる。これは、カメラを持つことでなし得た、記憶と向き合う24年間の家族の物語である。

日本語の壁

上智大学水島宏明ゼミ 寺原多惠子

プロデューサー/ディレクター:寺原多惠子

都内にあるテンダー手話・日本語教室。ここではろう者のために、手話通訳士であり日本語教師でもある鈴木隆子先生が、手話で日本語の文法を一から教えている。この教室に通う岡部祐介さん。デフリンピックの選手と会社員という二足のわらじを履く彼も、日本語で苦労した1人だ。彼の働く会社も、少しずつ変わってきた。そんな岡部さんを追いながら、ろう者と日本語の関係を考える。



高校生部門

龍勢と吉田の思い

埼玉県立川越高等学校

プロデューサー/ディレクター:大塚康生

吉田の街と椋神社の映像から入ります。櫻龍会の町田さんへのインタビューから龍勢の展示物がある「龍勢会館」へと足を運びます。この土地のしきたりや言葉を解説しながら龍勢の説明をしています。
硝石についてはまだ疑問が残っています。棟梁は「硝石は床下の土に入っている。」と話してくれましたが、なぜ吉田に多く含まれているかは不思議でした。しかし以前から養蚕の盛んな地域でその糞は畑や庭に捨てられていると知り、本校の地学部顧問の推測で仮説が立てられ映像にしました。お祭りで打ち上げられる龍勢のスピードにカメラ4台がついていけず、何回も失敗しましたが、その苦労を見て頂ければと思います。

ホーム・ルーム

長野県松本深志高等学校

プロデューサー/ディレクター:西尾遥

今から42年前に本校を卒業した28回生の3年8組は、卒業した後もずっと母校でロングホームルーム(以下LHR)を開いています。私たち放送委員は、3年8組の依頼のもとこのLHRを記録し続けてきました。
3年8組が卒業後のLHRを開き始めたきっかけは、担任の山本伍朗先生の「授業がしたい」という言葉でした。そして開かれた卒業28年目の最初のLHRから今年で7回目を迎えます。7回目の収録に臨もうとしていた私に、「今回を最後にする」と連絡が入りました。15年以上の記録素材、そしてインタビューから3年8組のLHRを振り返ると共に、高校のHRという空間の意味とLHRの可能性を見つめました。



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